ここに和装結婚式のスライドを表示します。浅草橋須賀神社と花嫁の写真など。

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浅草橋 須賀神社の由緒

浅草橋須賀神社とは、東京都台東区浅草橋にある神社です。
「當社牛頭天王縁起」の伝えるところでは、御創建は推古天皇の御代(600年)となっています。御祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)です。
推古天皇九年(601年)の夏、このあたり(武蔵国豊島郡)に疫病が流行した折、郷人等が牛頭天王に病難平癒を願ったところ、ことごとく快気を得たので、この場所に祠をたてたのが創始とされています。
『求涼雑記』『江戸名所図会』等の文献にも、村上天皇の天暦年中(947年-957年)この地に神祠があったことを記しています。
また、江戸時代の将軍家光の時に「松平伊豆守信網公銭を与え賜わり、時の奉行神尾備前守元勝、朝倉石見守在重に命じて造替せしめ、寛永十六年(1639年)りっぱに竣工せり」という記録が残っています。
当神社所在地である蔵前は、江戸時代「札差」が軒を並べていたところで、当社の氏子にもその札差が多かったといいます。札差とは、旗本や御家人の代理として禄米を受けることを業とした、いわば米商人で、吉宗将軍のころには109名もが公認されていたといわれています。彼らは武士への金貸しなども行なって富を得、次第に江戸の経済を動かすほどの勢力を持つようになりました。彼等は大の祭り好きで、六月の祭礼も彼等の財力を背景に大いに賑わったようです。その有様は『江戸名所図会』には四頁にわたって描かれています。
また文政の頃、両国吉川町大黒屋平吉の板による新版御祭双六にも当神社が出ています。
明治時代の神仏分離令以降、天台宗東叡山寛永寺・末真鏡山宝現院大円寺から分離し、須賀神社と改称しました。
大正十二年には関東大震災、昭和二十年には戦災被害をうけましたが、昭和三十六年には鉄筋コンクリートの社殿・社務所等が再建しました。

写真: 浅草橋須賀神社の鳥居

和装結婚式とは

和装結婚式(和装婚礼)とは、和風の衣裳(衣装)を着て式を挙げる結婚式のことです。最近では「和婚」と言われたりもします。
具体的に言うと、女性(新婦)の場合は白無垢・色打掛・振袖・引き振袖などの着物を着用します。また、男性(新郎)は紋付・羽織・袴・裃(かみしも)などを着用して式を挙げます。
これは、純日本風の伝統的な結婚式のスタイルであり、分類すると「神前式」「仏前式」「人前式」などの形態があるようです。この3つの形態の中でも、日本古来の凛とした伝統的な挙式スタイル、それが神前式結婚式です。
三三九度や玉串奉奠などの厳粛かつ神聖な儀式により、永遠の愛を誓い合いたいという気運の高まりから、和婚スタイルの中でも「神前挙式」は、最近若い層を中心に改めて注目を浴びています。

写真: 浅草橋須賀神社
写真: 浅草橋須賀神社のお手水
写真: 浅草橋須賀神社の社殿
 
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